「聞き書き」で介護はもっと面白い
タケシ君の「人生すごろく」奮闘記
六車由実(介護民俗学)
Webサイト用ロングバージョン
「ケイコさんは何人きょうだいなんだっけ」
「9人」
「9人? うそ! 9人なんて産まにゃーら」
「生まれただよ」
「わたしゃ、初めてだよ、9人なんていうのは。5人とか6人とかは聞いたことあるけど」
「その何番目だっけ」
「8番目」
「8番目? じゃあ一番上の人とはずいぶんと間があったら?」
「20歳近いかな」
すまいるほーむのデイルームでは、今日も聞き書きが始まっている。今日の主役はケイコさん(昭和14年生まれ)。ケイコさんの歩んできた人生に、スタッフも利用者さんたちも興味津々で、質問したり、つっこみを入れたり。そうして、賑やかにケイコさんの人生の物語が紡ぎだされていく。
すまいるほーむは、静岡県沼津市にある民家を借りた小規模デイサービス。定員は10名、利用登録者17名で、要支援1から要介護5のお年寄りが毎日代わる代わる集まってきては、1日を過ごしていく。
すまいるほーむでは、他のデイサービスと同様に、入浴介助、食事介助、排泄介助といった、いわゆる三大介助の他、手作業や体操などを取り入れたレクリエーションなども行っているが、「聞き書き」は、私が管理者となった3年前から試みていて、既にここの大きな特徴となっている。
聞き書きとは、地域で受け継がれてきた文化や歴史について研究する「民俗学」の手法であり、簡単に言えば、地域に暮らす人たちに話を聞いて、その経験や記憶を書きとめ、文章や映像などの形に残していく作業のことである。
私は、かつて大学に勤務し民俗学を研究していた時に、地域に住まうたくさんのお年寄りたちに聞き書きをしてきた。7年前に大学を辞め、実家のある沼津に戻ってきて、偶然介護の仕事に就いた時に、民俗学で培ってきた聞き書きを利用者さんたちに行ってみたら、なんと利用者さんたちの話の面白いこと! 認知症の方もそうでない方も、みな子供の頃や社会で活躍していた頃の記憶は鮮明で、しかもそれを豊かな表現力のある言葉で語ってくれた。私は、これは面白い! すごい!と感動し、様々な利用者さんへと聞き書きを始め、それを小さな冊子にまとめて利用者さんや家族に渡したり、聞き書きした思い出の料理を「思い出の味」と称して、利用者さんに指導してもらいながらみんなで再現したりするなどの試みを続けてきたのだった。
聞き書き? 回想法とか傾聴とかと何が違うの?と疑問を持たれる読者も少なくないかもしれない。確かに、介護現場では以前から、回想法等で利用者さんに話を聞くことは行われてきた。しかし、その場合、利用者さんの気持ちを安定させたり、認知症の進行を遅らせたりといったことが目的とされており、その目的を達成させるために聞き方や話の展開のさせ方に細かなルールが決められたりする。だから、回想法や傾聴は、研修に参加するなどして、そのルールをマスターした専門職が行うのが原則となっている。私も研修に参加し、一時は回想法を試みてみたのだが、ルールに沿って話を聞かなければならないことの窮屈さと、利用者さんの話はこちら側のルールや思惑からはどんどんとはみ出していくダイナミックさがあることを痛感したのだった。
聞き書きにはルールはない。聞き書きは、利用者さんの心の安定を図ることが目的ではなく、利用者さんの歩んできた人生を一人の人間として聞いて知ることに目的があるからだ。だから、利用者さんの言葉をしっかりと聞き、面白い!と思った自分の気持ちに素直になって、進めていけばいいのだ。わからないことがあったら、率直に「わからないから教えてくれ」とお願いしたり、躊躇せずにどんどんと質問したらいい。利用者さんは、まったくそんなこともわからないのか、と愚痴をこぼしながらも、ちゃんとわかるように丁寧に教えてくれるものである。
ただ一点、聞き書きで心得ておきたいことは、聞き書きの場においては、利用者さんが自分の経験について教えてくれる先生であり、聞き手であるスタッフはその教えを受ける生徒になる、ということである。だって、スタッフは、利用者さんの歩んできた人生や経験について知らないわけだし、そもそも若いスタッフは、その人が生きてきた時代背景についても知識なんてほとんどないんだから、利用者さんに教えてもらうしかないのである。
でも、この聞き書きの場において一時的にでも成立する、利用者さん=先生/スタッフ=生徒との関係性が、介護される/するという非対称的な関係に固定化され、閉塞的になりがちな介護の現場の雰囲気を明らかに変えていく力を持っている。それは確かである。すまいるほーむでも、この3年間聞き書きを重ねてきたことで、利用者さんとスタッフとの関係だけでなく、利用者さん同士の関係も少しずつ変わってきて、今では、誰が利用者で誰がスタッフなのかわからないくらいフラットな、まるで家族のような雰囲気になっている。その様子は、近著『介護民俗学へようこそ!―「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)に詳しいので、興味のある方は読んでみてほしい。
すまいるほーむでは、最近、他のスタッフたちも、それぞれのやり方で聞き書きを行い、その内容を様々な形に表現し始めている。冒頭に登場したやり取りは、最年少スタッフのタケシ君が行っている聞き書きの様子である。
今年の6月30日、ケイコさんの娘さんをお招きして、「ケイコさんの人生すごろく」のお披露目会を開いた。
娘さんをお招きしたお披露目会の日程が決まった5月下旬には、まだほとんど形になっていなかったことに、正直に言えば私も焦りと不安を感じていなかったわけではない。タケシ君には荷が重かったかな、という後悔の気持ちも少なからずあった。でも、利用者さんたちやスタッフたちに助けられて、こうやって、タケシ君は素敵な人生すごろくを完成させてくれた。そして、お披露目会では、歌やお芝居をまじえて追体験しながら、みんなが、ケイコさんの人生を、楽しく、そしてあたたかく受け入れていくように、タケシ君は実に上手に進行役を務めてくれたのだった。
主役であったケイコさんは、普段以上に汗をびっしょりとかいていたけれど、それだけ緊張し、興奮し、みんなに励まされながら自分の人生をふりかえっていたのではないかと思う。娘さんも、「すごいですね。愛情いっぱい」と目を潤ませていた。きっとすごろくをやりながら、二人ともいろいろな思いが込み上げていたのではないだろうか。
「ケイコさんの人生すごろく」のお披露目会は、そんなふうに、ケイコさんの思い出をみんなで共にしながら、頑張って生きてきたことを互いに労い励まし合った豊かな時間だった、そう思える。
では、タケシ君はどうだったのだろう。お披露目会が終わって少し落ち着いた頃に、彼はこんな話をしてくれた。
「六車さんに、『ケイコさんの人生すごろくを作ろう』と言われて、『え? 僕が? ケイコさんの?』と思っていたら、六車さんがやたら乗ってきてしまったので、『じゃあやりましょうか』ってしぶしぶ始めたんですよね。でも、作ってみて、ケイコさんへのイメージが随分と変わった感じはあります。作る前は、正直に言って、『面倒くさいおばあちゃん』という風に思っていたのが、聞き書きをして、すごろくを作ることで、『ああいろいろと大変な人生を歩んできたんだな』って思えるようになって」
「面倒くさいおばあちゃん」から「大変な人生を歩んできた人」に変わった。私はそれを聞いただけで、今回、タケシ君に「ケイコさんの人生すごろく」を作ってもらって本当によかったと思えた。
そうなのだ。聞き書きって、その利用者さんの人生が立体的に浮かび上がってきて、それ以前とは全くその方のイメージが変わっていく、それゆえに、その方への思いもケアも変わっていく、そんな力を持っているすごい方法なのだ。それを今回のように人生すごろくなどの形にして、浮かび上がってきたその利用者さんの人生をみんなで遊びながら共有し、共感できればもっといい。みんなが互いの人生を尊重し合い、思い合う。それがみんなのこれからを生きる力に繋がっていく。そんな介護の現場だったら、利用者さんにとっても、そしてスタッフにとってもきっと心地がよい場所になるはずだ。
「話を聞くこと自体は嫌いじゃないんですけど、それをまとめて形にするのは労力がいるから大変です。でもやってよかったと思います。仕事がもっと面白くなりました。
介護の仕事は、ただ目の前にある業務を黙々とこなすというやり方もあって、僕もその方が楽でいいんですけど。でも、時にはこんなふうに聞き書きをして、何か形にしてみると、仕事にメリハリもつくし、利用者さんとの関わり方も絶対に変わるし。聞いたことがわからなければ、調べてみたり聞いてみたりすれば、もっとわかってくるし。とにかく、この仕事がもっと面白くなる。断然、聞き書きをやった方がいいと思います」
タケシ君が私の思いを代弁してくれた。断然、聞き書きをやった方がいい。聞き書きは絶対に介護の仕事をもっと面白くしてくれる。日本全国の介護現場で、いろいろな形の聞き書きが広がっていったら、きっと介護の未来に希望が見えてくるに違いない。それが、私の夢である。
六車由実(むぐるま・ゆみ)1970年静岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科修了(民俗学専攻)。大学での研究職を経て、現在、静岡県沼津市にあるデイサービスすまいるほーむの管理者・生活相談員。著書に『神、人を喰う― 人身御供の民俗学』(新曜社)、『驚きの介護民俗学』(医学書院)、『介護民俗学へようこそ!』(新潮社)。