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介護を考える05.介護民俗学

「聞き書き」で介護はもっと面白い
タケシ君の「人生すごろく」奮闘記
六車由実(介護民俗学)

Webサイト用ロングバージョン

「聞き書き」にルールはない

 「ケイコさんは何人きょうだいなんだっけ」
 「9人」
 「9人? うそ! 9人なんて産まにゃーら」
 「生まれただよ」
 「わたしゃ、初めてだよ、9人なんていうのは。5人とか6人とかは聞いたことあるけど」
 「その何番目だっけ」
 「8番目」
 「8番目? じゃあ一番上の人とはずいぶんと間があったら?」
 「20歳近いかな」

 すまいるほーむのデイルームでは、今日も聞き書きが始まっている。今日の主役はケイコさん(昭和14年生まれ)。ケイコさんの歩んできた人生に、スタッフも利用者さんたちも興味津々で、質問したり、つっこみを入れたり。そうして、賑やかにケイコさんの人生の物語が紡ぎだされていく。
 すまいるほーむは、静岡県沼津市にある民家を借りた小規模デイサービス。定員は10名、利用登録者17名で、要支援1から要介護5のお年寄りが毎日代わる代わる集まってきては、1日を過ごしていく。
 すまいるほーむでは、他のデイサービスと同様に、入浴介助、食事介助、排泄介助といった、いわゆる三大介助の他、手作業や体操などを取り入れたレクリエーションなども行っているが、「聞き書き」は、私が管理者となった3年前から試みていて、既にここの大きな特徴となっている。
 聞き書きとは、地域で受け継がれてきた文化や歴史について研究する「民俗学」の手法であり、簡単に言えば、地域に暮らす人たちに話を聞いて、その経験や記憶を書きとめ、文章や映像などの形に残していく作業のことである。
 私は、かつて大学に勤務し民俗学を研究していた時に、地域に住まうたくさんのお年寄りたちに聞き書きをしてきた。7年前に大学を辞め、実家のある沼津に戻ってきて、偶然介護の仕事に就いた時に、民俗学で培ってきた聞き書きを利用者さんたちに行ってみたら、なんと利用者さんたちの話の面白いこと! 認知症の方もそうでない方も、みな子供の頃や社会で活躍していた頃の記憶は鮮明で、しかもそれを豊かな表現力のある言葉で語ってくれた。私は、これは面白い! すごい!と感動し、様々な利用者さんへと聞き書きを始め、それを小さな冊子にまとめて利用者さんや家族に渡したり、聞き書きした思い出の料理を「思い出の味」と称して、利用者さんに指導してもらいながらみんなで再現したりするなどの試みを続けてきたのだった。
 聞き書き? 回想法とか傾聴とかと何が違うの?と疑問を持たれる読者も少なくないかもしれない。確かに、介護現場では以前から、回想法等で利用者さんに話を聞くことは行われてきた。しかし、その場合、利用者さんの気持ちを安定させたり、認知症の進行を遅らせたりといったことが目的とされており、その目的を達成させるために聞き方や話の展開のさせ方に細かなルールが決められたりする。だから、回想法や傾聴は、研修に参加するなどして、そのルールをマスターした専門職が行うのが原則となっている。私も研修に参加し、一時は回想法を試みてみたのだが、ルールに沿って話を聞かなければならないことの窮屈さと、利用者さんの話はこちら側のルールや思惑からはどんどんとはみ出していくダイナミックさがあることを痛感したのだった。
 聞き書きにはルールはない。聞き書きは、利用者さんの心の安定を図ることが目的ではなく、利用者さんの歩んできた人生を一人の人間として聞いて知ることに目的があるからだ。だから、利用者さんの言葉をしっかりと聞き、面白い!と思った自分の気持ちに素直になって、進めていけばいいのだ。わからないことがあったら、率直に「わからないから教えてくれ」とお願いしたり、躊躇せずにどんどんと質問したらいい。利用者さんは、まったくそんなこともわからないのか、と愚痴をこぼしながらも、ちゃんとわかるように丁寧に教えてくれるものである。
 ただ一点、聞き書きで心得ておきたいことは、聞き書きの場においては、利用者さんが自分の経験について教えてくれる先生であり、聞き手であるスタッフはその教えを受ける生徒になる、ということである。だって、スタッフは、利用者さんの歩んできた人生や経験について知らないわけだし、そもそも若いスタッフは、その人が生きてきた時代背景についても知識なんてほとんどないんだから、利用者さんに教えてもらうしかないのである。
 でも、この聞き書きの場において一時的にでも成立する、利用者さん=先生/スタッフ=生徒との関係性が、介護される/するという非対称的な関係に固定化され、閉塞的になりがちな介護の現場の雰囲気を明らかに変えていく力を持っている。それは確かである。すまいるほーむでも、この3年間聞き書きを重ねてきたことで、利用者さんとスタッフとの関係だけでなく、利用者さん同士の関係も少しずつ変わってきて、今では、誰が利用者で誰がスタッフなのかわからないくらいフラットな、まるで家族のような雰囲気になっている。その様子は、近著『介護民俗学へようこそ!―「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)に詳しいので、興味のある方は読んでみてほしい。

たくさんのサポーターたち

 すまいるほーむでは、最近、他のスタッフたちも、それぞれのやり方で聞き書きを行い、その内容を様々な形に表現し始めている。冒頭に登場したやり取りは、最年少スタッフのタケシ君が行っている聞き書きの様子である。

ケイコさんに聞き書きをするタケシ君

 タケシ君は、芸術系の大学で演劇を勉強し、卒業後3年間助手として大学に勤務した後、実家のある沼津に戻ってきて、2年前の春からすまいるほーむで介護職員として働き始めたという経歴を持つ。聞き書きの経験は全くないわけではないが、本格的に行うのは今回が初めて。この春に他のスタッフがある利用者さんへの聞き書きをもとにして作った「人生すごろく」がとても好評だったので、その第2弾として「ケイコさんの人生すごろく」ができたらいいなと思い、タケシ君に作ってみてほしいとお願いしたのであった。
 ケイコさんの人生すごろくを作ったらいい、と私が思いついたのにはいくつかの理由がある。ひとつは、認知症により同じことを何度も繰り返したり、10分おきくらいに尿意を訴えて排泄介助が頻繁に必要になったりするケイコさんについて、私たちスタッフはケアの大変さを少なからず感じていて、彼女とこれまでうまく向き合えずにいたということがある。また、ケイコさん自身も、20年以上前に脳出血により左上下肢麻痺になり、それからずっと自分の体が思うように動かない苛立ちや絶望を感じて生きてきた。そんな彼女の口癖は、「私なんて死んだ方がましだよ」だったのである。
 演劇や芸術を本格的に勉強してきたタケシ君の自由な発想で人生すごろくを作って、みんなで遊んでみたら、もしかしたら、スタッフや他の利用者さんたちもケイコさんの人生に素直に共感することができるかもしれないし、ケイコさん自身も自分の人生を前向きに受け入れられるかもしれない、私にはそんなほのかな期待があった。もちろん、そんなことを最初から言ったらタケシ君のプレッシャーになるから、その思いは私の心の中だけに秘めておいたのだが。
 私の提案にタケシ君は最初は戸惑っている様子だったが、その日の午後には冒頭のような聞き書きを始めてくれ、帰りの送迎から戻ってきた時には、「ミュージカル風っていうのを考えてみたんですけど……」なんて声をかけてくれた。

 「ケイコさん、聞き書きの中で、結構いくつか掛け合いみたいなセリフっぽいこと言っていたじゃないですか。ケイコさんが働いていたうどん屋さんで料理を勧める時の言葉とか。ああいう、ケイコさんが頑張っていた時の言葉をセリフにして、そのマスに止まった人がケイコさんと一緒にセリフを読んだ後に、みんなで昭和の歌謡曲のワンフレーズを歌うとかってどうでしょう」

 ミュージカル風人生すごろく。歌が好きなケイコさんにふさわしい形であるように思えたし、何だか想像するだけでワクワクしてくるような気がした。
 それから、タケシ君は、昼食後のデイルームのゆったりとした時間を使って、ケイコさんに聞き書きを行っていった。それを周りで見ているスタッフや利用者さんたちもみんなで応援してくれ、時に鋭いつっこみをしてくれて、更に聞き書きが深く展開されていくこともあった。例えば、結婚してからケイコさんが働いていたうどん屋さんでのことをタケシ君が確認しようと、「ケイコさんは、お客さんに『天釜がお勧めですよ』って、1300円の天釜うどんを勧めて、結構お客さんが注文してくれたんですよね」と言うと、スタッフのマユミさんから質問が飛ぶ。

マユミ「天釜って何?」
ケイコ「天ぷらが載った釜揚げうどんだよ」
マユミ「何の天ぷら?」
ケイコ「海老と鯵と…、うーんと何だっけかな。そうだ、大葉だ」
マユミ「へー、おいしそうだね」

 その様子を隣でじっと聞いていた、すまいるほーむ最年長のカズさん(大正7年生まれ)が、「釜揚げうどんの上に、そんなに天ぷらが載ってたの?載るかな?」と首をかしげた。どうやら、カズさんにはそれだけの天ぷらが載った釜揚げうどんが想像できなかったらしい。確かに言われてみれば、どんなものだったのかイメージが湧かない。
 すると、そのつぶやきを聞き逃さなかったケイコさんが間髪を入れずにこう訂正する。「釜揚げうどんは専用の桶に入っていて、他のお皿に盛った天ぷらがついていただよ」と。なるほど!とみんなで納得。更に、それに対して、マユミさんが「それで1300円だったの? 安いね」と言うと、カズさんが、「いやいや、当時の物価からしたら結構高いよ」と意見する。タケシ君は、みんなのやり取りを聞き漏らさないように、必死になってメモをとっている。
 そんなみんなのやり取りで、ケイコさんの人生とともに、当時の物価や社会事情まで浮かび上がってくるから面白い。聞き書きは、細部が詳細になっていくほど具体的なイメージが湧いてきて、どんどん面白くなっていき、深まっていくものなのである。
 こんなふうに聞き書きを重ね、それをメモにまとめながら、一方でタケシ君は、更にそれを「人生すごろく」という形にするために奮闘していた。後から聞いてみると、「聞き書きよりも、すごろくの形にするのが大変だった」と言う。

 「初めはすごろくを作るのが苦しくて仕方がなかったんです。どうしたらいいのか、考えると頭がぐるぐるとしてきて。いろいろとアイディアは浮かぶんですけど、それをどう形にしていいのか。手先が不器用だから、絵なんかも描けないし。でも、僕が思いついたアイディアを言うと、それをタカオさんが具体的に形にしてくれて。例えば、『ミュージカル風だから、マスの形は音符がいいんじゃないか』って言うと、タカオさんがすぐに色画用紙を使って音符の形のマスを作ってくれたり、『うどん屋さんのセリフをいう時にお品書きがあった方がいいかもしれない』と言うと、本格的なお品書きを作ってくれたり。そうやって助けてもらって形ができてくるにつれて、どんどんと面白くなっていって」

 タカオさんというのは、介護の仕事に就く前にデザインの仕事をしていたスタッフで、普段のレクリエーションの手作業の時にも、とてもセンスのいいデザインの小物や飾りを考えてくれていた。そんなタカオさんが、聞き書きを形にするときのよき相談相手になり、サポーターとしてもタケシ君を支えてくれていた。
 ケイコさんの娘さんもすごろく作りに協力してくれた。すごろくに、ケイコさんの思い出の写真を載せたい旨を伝えると、快く了解してくれて、休みの日にたくさんあるアルバムの中から写真を何枚も選んでくれたのである。
 そうやって2カ月近くをかけて、ケイコさん、娘さん、利用者さんやスタッフみんなから様々な協力を得ながら、タケシ君は、「ケイコさんの人生すごろく」を仕上げていったのであった。

「ケイコさんの人生すごろく」お披露目会

 今年の6月30日、ケイコさんの娘さんをお招きして、「ケイコさんの人生すごろく」のお披露目会を開いた。

「ケイコさんの人生スゴロク」お披露目会の様子

「今から人生すごろくで、ケイコさんの人生をたどってみましょう」

 タケシ君の言葉ですごろくが始まった。隣り合って座ったケイコさんと娘さん、二人とも最初はどんなことになるのかと不安と緊張でいっぱいのようだったが、始まるとすぐに表情がゆるんでいった。
 サイコロを振り、利用者さんのミトさんの駒が4番目のマスに止まると、タケシ君がマスに書いてある説明を大きな声で読み上げる。

 「ケイコさんのお父さんは呑兵衛で、酔った勢いで借金の保証人になってしまいました。そのせいでケイコさんのお母さんの畑が借金の形でみんな取られてしまったので、お父さんは農協で働き始めました。そして、お父さんは三ヶ日みかんを広めた人として有名になりました」

 みんな、呑兵衛のお父さんが借金の形で畑がとられたというところで苦笑しながらも、最後には「へー、すごい!」と歓声を上げた。ケイコさんも娘さんも、うんうんと頷いている。タケシ君、更に続けてこう言った。

 「それではみんなで『みかんの花咲く丘』を歌ってみましょう」

 その言葉を聞くや否や、タカオさんが、さっと「みかんの花咲く丘」のワンフレーズを大きく書いた画用紙をみんなの前に掲げた。「さんはい!」 タケシ君の合図で、みんなで元気に歌い始めた。「みーかんーの花がーさーいてーいるー」。歌が大好きなケイコさんが一番大きな声で歌っていた。歌い終わると、みんなの拍手。娘さんも、「すばらしい!」と興奮している。
 その後も、「高校三年生の時に競輪場でアルバイトをしていた」というエピソードのマスに止まると、舟木一夫の「高校三年生」を、「ケイコさんが親戚の説得に根負けし、24歳で沼津に嫁いできた」というエピソードのマスでは、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を歌うなど、ケイコさんの人生の節目節目のエピソードで、それにちなんだ歌をみんなで合唱していった。そして歌を歌うごとに、みんなの気持ちもひとつになり高揚しているようだった。
 例のうどん屋さんで働いていた時の場面では、みんなでその場面を演じるような仕掛けがされていた。ケイコさんの駒がうどん屋さんのエピソードのマスで停まると、タケシ君がマスの説明を読んだ。

 「ご主人は大工でしたが働くのが好きではなかったので、ケイコさんが『桂』といううどん屋さんで働き始めました。ケイコさんは接客上手。お勧めを聞かれると、『こちらの天釜がお勧めですよ』と1300円の天釜うどんを勧めて注文をとっていました。それで支配人に気に入られて、給料をたくさんもらいました。そのせいで同僚に妬まれもしました」。

 「大変な職場だったんだね」というケイコさんに同情する声が利用者さんから聞こえてくる。タケシ君は更にこう続けた。

 「では、ちょっとセリフを読んでみようと思います。みなさん、お客さんになって、ケイコさんにお勧めを聞いてみてください」

 そして、タカオさんに作ってもらった立派なお品書きと、セリフを大きく書いた画用紙を、タケシ君がみんなに見えるように掲げると、ケイコさん、少し自慢げに、「いらっしゃいませ!」と言って頭をぺこりと下げた。利用者さんたちやスタッフたちは、ケイコさんに促されるようにして声をそろえ、セリフを読んだ。

 「おねえちゃん、お勧めは何かな?」

 すると、ケイコさん、画用紙に書かれた文字をひとつひとつ目で追いながら、次のセリフをたどたどしく読み始めたが、間もなく画用紙から目を離し、スラスラとこう言った。

 「当店としましては、天釜がお勧めになっておりますけど、よろしいでしょうか」

 その滑らかな口調に、利用者さんたちもスタッフも、「すごい!」と驚いたり、「昔取った杵柄だね」と納得したりしている。脳出血の後遺症で普段は文字を読んだりすることが難しいケイコさんだが、自身が長年の経験で口にしてきた言葉はお得意なのである。

 「よし、おねえちゃんが勧めるなら、それにしよう」
 「ありがとうございます。天釜ひとつお願いします!」

 最後にタケシ君が、「あいよ!」と台本にはなかった厨房のお兄ちゃんのセリフを即興で入れるとみんなで大笑い。
 短いセリフのやり取りだったが、みんなでそれを演じることで、まさに、うどん屋さんで一日中がむしゃらに働いていた頃のケイコさんの姿がありありと浮かび上がってくるようだった。
 他にも、娘さんが知らないケイコさんの切ない初恋のエピソードや、二人の小姑にいじめられたという嫁ぎ先の苦労話なども登場した。特に、小姑のエピソードの時には、娘さんは、「本当に大変だったんだよね。嫁いで3日目で後悔したって言ってたもんね」と娘さんがケイコさんと二人、互いに目を見つめ合って何度も頷いているのが印象的だった。苦労を分かち合って生きてきた母と子の顔を垣間見た気がした。そして、そのマスに駒が止まるたびに、みんなで、「ケイコさん、がんばって!」と声援を送る仕掛けにも、タケシ君の優しい心遣いが感じられて、私はなんだか嬉しかった。
 最後にケイコさんの駒がゴールをすると、ケイコさん、娘さんに向かってこう言った。

 「どうもありがとうね。これからもお世話になります」

 そして、娘さん、「よく頑張りました」とにっこりと笑った。

 「喧嘩はするけど、二人は仲良し。ということで、最後にお二人に拍手をして終わりましょう」

 みんなのあたたかい拍手で、ケイコさんの人生すごろくが締められた。

「断然、聞き書きをやった方がいい」

 娘さんをお招きしたお披露目会の日程が決まった5月下旬には、まだほとんど形になっていなかったことに、正直に言えば私も焦りと不安を感じていなかったわけではない。タケシ君には荷が重かったかな、という後悔の気持ちも少なからずあった。でも、利用者さんたちやスタッフたちに助けられて、こうやって、タケシ君は素敵な人生すごろくを完成させてくれた。そして、お披露目会では、歌やお芝居をまじえて追体験しながら、みんなが、ケイコさんの人生を、楽しく、そしてあたたかく受け入れていくように、タケシ君は実に上手に進行役を務めてくれたのだった。
 主役であったケイコさんは、普段以上に汗をびっしょりとかいていたけれど、それだけ緊張し、興奮し、みんなに励まされながら自分の人生をふりかえっていたのではないかと思う。娘さんも、「すごいですね。愛情いっぱい」と目を潤ませていた。きっとすごろくをやりながら、二人ともいろいろな思いが込み上げていたのではないだろうか。
 「ケイコさんの人生すごろく」のお披露目会は、そんなふうに、ケイコさんの思い出をみんなで共にしながら、頑張って生きてきたことを互いに労い励まし合った豊かな時間だった、そう思える。
 では、タケシ君はどうだったのだろう。お披露目会が終わって少し落ち着いた頃に、彼はこんな話をしてくれた。

 「六車さんに、『ケイコさんの人生すごろくを作ろう』と言われて、『え? 僕が? ケイコさんの?』と思っていたら、六車さんがやたら乗ってきてしまったので、『じゃあやりましょうか』ってしぶしぶ始めたんですよね。でも、作ってみて、ケイコさんへのイメージが随分と変わった感じはあります。作る前は、正直に言って、『面倒くさいおばあちゃん』という風に思っていたのが、聞き書きをして、すごろくを作ることで、『ああいろいろと大変な人生を歩んできたんだな』って思えるようになって」

 「面倒くさいおばあちゃん」から「大変な人生を歩んできた人」に変わった。私はそれを聞いただけで、今回、タケシ君に「ケイコさんの人生すごろく」を作ってもらって本当によかったと思えた。
 そうなのだ。聞き書きって、その利用者さんの人生が立体的に浮かび上がってきて、それ以前とは全くその方のイメージが変わっていく、それゆえに、その方への思いもケアも変わっていく、そんな力を持っているすごい方法なのだ。それを今回のように人生すごろくなどの形にして、浮かび上がってきたその利用者さんの人生をみんなで遊びながら共有し、共感できればもっといい。みんなが互いの人生を尊重し合い、思い合う。それがみんなのこれからを生きる力に繋がっていく。そんな介護の現場だったら、利用者さんにとっても、そしてスタッフにとってもきっと心地がよい場所になるはずだ。

 「話を聞くこと自体は嫌いじゃないんですけど、それをまとめて形にするのは労力がいるから大変です。でもやってよかったと思います。仕事がもっと面白くなりました。
 介護の仕事は、ただ目の前にある業務を黙々とこなすというやり方もあって、僕もその方が楽でいいんですけど。でも、時にはこんなふうに聞き書きをして、何か形にしてみると、仕事にメリハリもつくし、利用者さんとの関わり方も絶対に変わるし。聞いたことがわからなければ、調べてみたり聞いてみたりすれば、もっとわかってくるし。とにかく、この仕事がもっと面白くなる。断然、聞き書きをやった方がいいと思います」

 タケシ君が私の思いを代弁してくれた。断然、聞き書きをやった方がいい。聞き書きは絶対に介護の仕事をもっと面白くしてくれる。日本全国の介護現場で、いろいろな形の聞き書きが広がっていったら、きっと介護の未来に希望が見えてくるに違いない。それが、私の夢である。

六車由実(むぐるま・ゆみ)1970年静岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科修了(民俗学専攻)。大学での研究職を経て、現在、静岡県沼津市にあるデイサービスすまいるほーむの管理者・生活相談員。著書に『神、人を喰う― 人身御供の民俗学』(新曜社)、『驚きの介護民俗学』(医学書院)、『介護民俗学へようこそ!』(新潮社)。