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介護を考える06.経済

贈与返礼としての介護
平川克美(作家)

ひとは誰のために生きているのか

 2年間、母親と父親の介護をして気づいたことがある。
 それは、「ひとは自分で思うほど、自分のために生きているわけではない」ということである。
 そんな馬鹿なと言われるかもしれない。誰だって、自分のために生きているじゃないか。他者のために生きるといえば聞こえはいいが、そんなことは誰にでもできることではないし、「他者のために」は、所詮はきれいごとに過ぎないというわけだ。世間に自己責任論の風潮が強くなっている今日であれば、なおさら他者のために生きるという言葉は、白々しく響くのかもしれない。
 だから、こんなことを言う政治エリートが目立つようになってきた。「ひとは、自立し、自己決定し、その決定に責任を持つことで、自己を確立できるのだ。政府や他者に頼って生きてはいけない」。あるいは、経済的成功者は「ひとは誰でもが、自らの欲望のままに生きてよいのであり、その結果生じる社会のアンバランスは神の見えざる手がこれを解決するだろう」と言い放つ。
 そうだろうか。
 自己決定、自己責任、自己実現というアイデアは、理にかなっているのだろうか。そんなことを信じて、ひとりで生きていて幸福になれるのだろうか。そもそも、わたしたちは、そんなふうに生きてきたのだろうか。
 わたしは、自己責任も、自己決定も弱肉強食の新自由主義というルールを補強するために出てきた理屈であり、国家や共同体が本来すべきことをサボタージュし、政治エリートや経済勝者が弱者を切り捨てるときの言い訳でしかないと思うのである。
 そもそもこの考え方には、自然の摂理に対する著しい無理解と、おごりがある。たとえば、人が老いて、病に陥るというプロセスを考えたとき、老いることも病むことも、自己責任だとは言えないだろう。もちろんそれは自己決定でもない。日ごろの不摂生が病の原因になることに同意できたとしても、老いに関してはどこにも自己責任の入り込む余地はない。老いは誰にでも平等にやってくる。違いがあるとすれば、老いたり病に陥った時に、高級な介護施設に入るだけの経済的余裕があるかどうかだけである。
 金もなく、親類縁者とも疎遠な老人は、やむなくひとりで生きていかなくてはならなくなる。自己決定も、自己責任も、そうせざるを得ないので、そうしているだけなのである。ほんとうは、誰も自分だけでは生きてはいけないのだ。
 そのことは、裏を返せば、誰も自分だけのために生きているわけではないということではないのか。

 いっとき、わたしは、要介護5の父親を毎晩風呂に入れ、下の世話をし、朝食と夕食の支度をした。それまで、台所仕事などしたことがなかったが、やってみたら夕食の支度は案外興味深いものであることを知った。まず、1週間のざっとした献立を考える。そして、仕事帰りにスーパーに立ち寄ってその日の食材を仕入れる。最初は、いかにも男の料理といった感じで、見栄えも味も褒められたものではなかったのだが、やっているうちに少しずつコツのようなものを覚えていった。次第に、凝った料理を作るようになった。
 かつ丼、ロールキャベツ、小アジの素揚げなどは、我ながらうまいものができたと思った。
 介護をする以前は、栄養に気を使うなんていうこともなかったが、相手が要介護の老人ともなれば、自然と消化の良いもの、バランスのとれたものなどを食卓に配するようになる。
 父親も、わたしが作った料理をうまいうまいと言って食べてくれた。
 そうなると、こんどはもっとうまいものを作ってやろうという気になる。
 それで、デザートもひと手間加えるようになっていった。
 わたしは、自分でも知らぬ間にいっぱしの主夫になっていたのである。
 これなら、ひとりでも料理を作ったり、洗濯をしたりしながら楽しく生活していける。
 ところが、父親が亡くなって、自分ひとりの生活に戻ったとき、わたしは意外にも料理を作る気持ちがまったくなくなってしまい、以前のように外食で済ませるようになった。
 その単純な事実に、我ながらとまどった。
 その理由がよく分からなかったからだ。
 それが、冒頭の、「ひとは自分で思うほど、自分のために生きているわけではない」という述懐につながるわけである。それはあまりに極端な例だと言われるなら、「自分のためだけに生きているわけではない」と書き換えてもよい。少なくとも、わたしは、父親の介護を通じて、自分を必要としてくれている他者、あるいは自分を待っていてくれている他者のために生きるとき、わたしのパフォーマンスが最大化することを知ることとなった。
 介護の体験のなかで、これがわたしにとって最も大きな発見だったかもしれない。
 ひとは誰も、自分のためになんか、手間暇かけて料理を作ろうとは思わないものだ。
 わたしの体験を、何か合理的に説明できる方法はないのだろうか。人間というのはもともと不合理で、無目的な生きものだと言ってしまえばそれまでなのだが、そこには何かもっと深い理由が隠されているような気がしたのである。

贈与論

 ちょうどその頃、昔出会って、当時はよく理解できなかった1冊の書物を読み返した。そこには、ある先住民の間で行われている民族誌的な風習についての不思議な記述があふれていた。
 たとえばそれは、こんな風な記述だった。

  仮にあなたがある品物(タオンガ)を所有していて、それを私にくれたとしましょう。あなたはそれを代価なしにくれたとします。私たちはそれを売買したのではありません。そこで私がしばらく後にその品を第三者に譲ったとします。そしてその人はそのお返し(「ウトゥ(utu)」として、何かの品(タオンガ)を私にくれます。ところで、彼が私にくれたタオンガは、私が始めにあなたから貰い、次いで彼に与えたタオンガの霊(ハウ)なのです。(あなたのところから来た)タオンガによって私が(彼から)受け取ったタオンガを、私はあなたにお返ししなければなりません。私としましては、これらのタオンガが望ましいもの(rawe)であっても、望ましくないもの(kino)であっても、それをしまっておくのは正しい(tika)とは言えません。私はそれをあなたにお返ししなければならないのです。それはあなたが私にくれたタオンガのハウだからです。この二つ目のタオンガを持ち続けると、私には何か悪いことがおこり、死ぬことになるでしょう。
(マルセル・モース『贈与論』 吉田禎吾/江川純一訳 ちくま学芸文庫34〜35頁)

 いったいタオンガとは何だろう。ハウとは何だろう。何度読み返しても、頭ではよく理解できないことが書かれている。
 それでも、わたしは、自分の経験を通じて、わたしが自分の父親にしている行為と、このタオンガをめぐる物語には、どこか似たようなところがあると感じたのである。
 書物の名は『贈与論』。
 わたしが名指すことができなかった不思議な力、それこそが贈与の秘密なのであり、現代人であるわたしたちは「弱きもの」を抱え込むことによって、はじめて、原初的な贈与が立ちあがってくる現場に遭遇できたのかもしれなかった。

交換経済と贈与経済

 貨幣が発明されて以来、わたしたちの経済の中心には「等価交換」という価値観が居座るようになった。貨幣は、モノの価値の尺度でもあり、他の等価のモノとの交換を媒介する道具でもあり、同時にそれ自体が価値としての仏神性を備え、万能の力を発揮するようになったわけである。
 貨幣が作る交換経済の仕組みは、世界を劇的に変化させた。
 貨幣以前の世界では、つまりは自給自足的な経済においては、モノとはほとんどの場合、自然から与えられた贈与であり、それらは人間が生きるために消費されていった。自然の贈与は、たとえば稲作がそうであるように、毎年一定の量を生み出し、その産出もまた年ごとに繰り返される。したがって、人間の消費も、米の産出に合わせるように、毎年繰り返されるが、拡大してゆくことはない。自分が消費する分だけ収穫し、剰余は保管されるか、他の消費物と交換されたが、すべてのモノには消費期限があり、期限が過ぎれば廃棄されるほかはなかった。
 しかし、貨幣という、モノとしての価値を一切有さない価値物、つまりは交換価値だけの担い手が登場すると、人間はどんな剰余物でも、貨幣と交換することが可能になり、消費する必要がないときには、交換された貨幣は退蔵された。
 こうして、貨幣の登場が商品交換を瞬く間に、交換の主流に押し上げ、交換の頻度も、量も格段に増大していったのである。

 ところで、マルセル・モースが観察した前述の先住民マオリ族の習俗では、他者から贈られたモノを退蔵すれば、災難に遭うか、場合によっては死んでしまうと信じられていた。だから、退蔵は禁止され、そのモノは再び、第三者にパスされた。この習俗は、部族のメンバーに何を教えようとしているのだろうか。それは謎だが、ひとつ考えられるのは、こうしたモノのパスの連鎖が、マオリの人々を結びつけ、共同体を存続させていくための規律を与え、同時に自然環境との付き合い方を規定することになっていったということである。
 つまり、自然の前で、マリオの人々は慎み深くならなくてはならないし、共同体の中で必要なモノは分かち合わなくてはならないということである。
 マオリの人々に反して、現代人は、貨幣の形でモノの価値を退蔵している。しかし、これらの退蔵物の価値の源泉をたどって行けば、それは地の糧としての食物であったり、ひとが生きていくために必要な空気や水であったり、太陽光であったり、化石燃料であったり、それらの組み合わせの中から生まれてきたものであったはずである。
 モノを退蔵することによる災厄とは何だったのか。それは、端的に腐敗した生モノによる害だったり、共同体規律の乱れであり、自然環境の破壊である。マオリ族は、自分たちの種族を守り、循環型の社会を守っていく知恵を、独自の習俗として保存してきたのではないのか。
 貨幣の出現は、マオリ族が持っていたような自然と人間の間の贈与交換を、自然から切り離された商品交換へと飛躍させた。人々の結びつきの儀式でもあった等価交換は、商品交換に飛躍した瞬間に、清算の手段へと変貌したのである。ありていにいえば、金の切れ目が縁の切れ目になったのだ。
 貨幣の出現により、自給自足は効率の悪い生産方式となり、分業が進み、それがまた一層、交換の頻度と速度を増加させた。
 現代における経済とは、まさにこの生産の速度と交換の頻度の関数として表れている。
 市場の原理は、交換力の持ち主、つまりは富者と、自らの身体(労働力)以外に交換力の源泉を持たない貧者との格差をますます大きくしているようにみえる。それはあたかも、マルクスが描き出した労働手段を有する資本家と、自らの身体以外に労働手段を持たないプロレタリアートという構図の再現である。
 貨幣交換が作る社会は、必然的に強者と弱者を生み出してしまい、弱者をその中心に抱え込むのではなく、弱者をその周縁に追いやる社会へと向かう。
 新しい世紀に入ってから、日本経済は、ほとんど成長ののりしろを失ったかのように停滞し、同時に人口減少という有史以来の出来事に遭遇している。これまで交換経済の活発化によって成長してきた日本は、その必然として、より旺盛な交換の活発化(経済成長)よりは定常的な交換を中心とした長寿国(定常経済)へと移行する過渡期にあると言えるのかもしれない。つまり、人口減少と、社会の高齢化によって、もはや活発な交換経済、すなわち経済成長は向こう半世紀にわたって望むべくもない状態になっていることを認めざるを得ないということである。
 しかし、これまでの成長型の効率重視、生産性重視の価値観を変更して、定常的な社会へと価値観を転換すべきだとは誰も言わない。成長が鈍化した分だけ、効率を求めて、さらなる合理化が叫ばれるようになる。そうなると、これからさらに日本にあふれ出す老人たちは、どうしたら生きていけるのかという切実な問題に晒されることになる。
 日本社会全体が、定常型の成熟社会に移行すればよいというのは簡単だが、現実的には成長ののりしろを失っているにもかかわらず、成長型、発展途上型を追い求めるちぐはぐな時代が当分の間は続くことになるだろう。それをわたしは、「移行期的混乱」と呼んだ。
 いったい、この移行期的な混乱を、わたしたちはどのように切り抜けていくことができるのだろうか。
 そのひとつの解は、現在の経済活動のなかに、贈与経済を再発見すべきだというものである。たとえばそれは、介護である。
 介護というものを、ビジネスの成長分野であるととらえている向きもあるが、それは介護という本来ビジネスとは縁遠いものから「介護サービス」を切り出して、それを商品化し、流通過程に乗せるということを意味している。しかし、わたしの小さな経験から言わせてもらえるなら、介護というプロセスをサービス化した瞬間に、介護の最も本質的な意味は失われてしまう。今日、介護施設は、病院や教育施設と同様、その施設そのものを持続発展させていくためには、ビジネス的側面を切り離しては考えられないが、たとえば一般の株式会社が利潤の最大化が目的であるのに対して、それとは別な目的を持っていることを忘れてはならないだろう。それは、社会的共通資本として地域や共同体を支えていくという社会への貢献(つまりは贈与的側面)こそが優先的に配慮されるべき目的であるということである。
 介護の本質的な意味とは、世代を継ぐという人間社会の儀礼に残っている贈与交換が持っていた意味である。
 分かりにくいと思うので、ご説明したい。
 人間は誰もが、ひとりで生まれ、ひとりで育つことができない。通常は家族の一員としてこの世に生を享け、母親のおっぱいを呑み、おむつを替えてもらい、離乳食を与えられながら、一本立ちするようになる。このときの親による「子育て」こそ、見返りを要求しない最初の贈与であると言わなければならない。
 マオリの掟に従うなら、「子育て」の過程で受け取った贈与は、第三者にパスしなければならない。それが、自分たちが成長して家族を作り、子どもを得たときに、その子どもに対しての贈与という形でパスされることになる。そして、成長の過程で、社会から送り返される第二の贈与を、もとの持ち主、つまりは自分の親たちに返す。この二世代にわたる贈与交換こそが、介護のひとつの側面なのではあるまいか。
 介護を手助けする人々をヘルパーと呼ぶが、かれらは文字通り老人をヘルプするだけではなく、子どもが親たちに無償の贈与の返礼を行うことそのものもヘルプするわけである。
 親から与えてもらった贈与を、自分自身の成長過程を迂回して、また親に返礼する。わたしは、自分の介護経験のなかで、そのような人類史的な秘密の一旦に触れていたのではないかと思った。
 それが、父親が亡くなってから、あれほど熱心に行っていた料理をする気持ちがすっかり失せてしまったということの理由ではないかと思ったのである。
 介護は、経済成長率の向上という尺度からすれば、ほとんど何も貢献することがない行為である。しかし、その経験を通して、世代と世代をつないでいくという人類史的な知恵には大きな貢献をすることになる。しかもそれは、やろうと思えば、誰でもやれることであり、誰もがそれをすることで、社会的なコストを下げることにもなるのである。

平川克美(ひらかわ・かつみ)1950年東京都生まれ。株式会社リナックスカフェ代表取締役。声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」主宰。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授。著書に、自身の介護経験を著した『俺に似たひと』(朝日文庫)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『路地裏人生論』(朝日新聞出版)ほか多数。