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介護を考える12.建築

建築におけるケアの思想
対談:藤村龍至(建築家・ソーシャルアーキテクト)×家成俊勝(建築家)

誰もが建てられる小屋が「社会実験の場」になる

ーー パブリックな建築をつくる上で、建物だけでなく周囲のコミュニティに配慮した設計を考えることは、近年ますます重要になってきています。また、少子高齢化で縮小していく日本社会のなかで、建築自体の寿命を考えてその維持管理をどうしていくのかを考えることは、建築をケアすることと言えないでしょうか。ケアという視点から、お二人の最近の仕事をお聞かせください。

家成 ケアという意味では、僕らの事務所が瀬戸内国際芸術祭2013で小豆島に建てたウマキキャンプという小規模な建築があります。この建物は、どうやって作られているのかが一目瞭然で、建築家でなくても補修の手立てをすぐに考えつくことができる建築です。普段、私たちが住んでいる空間や使用している建築というのは、壁のどこに釘を打っていいのか、どこを切ったら崩れてしまうのかということが分かりづらいですよね。それがひと目で分かるものをつくろうというのが目的の一つとしてありました。もう一つは、地域の人がウマキキャンプを使ってどういう活動をしていくか。それは、あくまでアートイベントでのテストという感じで、地域の方が乗ってきてくれれば上手くいくし、参加してくれなければ失敗するという可能性も考えていました。
藤村 家成さんは大学で法律を学んでいたときに体験した阪神・淡路大震災がきっかけで建築をはじめられたわけですが、震災の後に立ち上がる街並みやコミュニティが原風景とおっしゃっています。ウマキキャンプができたきっかけは、2011年に東北でも同じように震災が起こって、「300万円あれば住宅が建つ」と力説していたら、「お金を出すから芸術祭でそれを建ててくれ」と声がかかったことだそうですね。
家成 はい。3・11が起きて、津波で家が流されたあとに自力で建設できる仕組みを考えようということで、コストを抑えて建てられる建築のあり方みたいなものを考えていたときに誘われたんです。これは基礎の柱を立てる部分が筒になっていまして、柱をそこに挿していって、カットした平材をボルトと釘で留めるだけで建築ができていくので、足場を組まずに脚立だけで建てられました。小豆島そのものは高齢化と人口減少を先取りしているような場所で、高度経済成長期に若者が島の外へ出て行って人口が減り、同時に高齢化も進んでいるので大変な状況です。しかし、現在の小豆島町長がもともと厚生労働省で社会保障を専門にしていた方なので、地元に戻ってきて、福祉に関しては子育て・介護・障害者福祉・医療の4つを柱にして、人口減少時代の社会保障のモデルづくりに力を入れているという町なんです。
藤村 アートのイベントで集会所を作るというのは他にもあると思いますが、この施設は芸術祭が終わったあとにも壊されずに、その後も地元の人たちに緩やかな集いの場として使われているというのが特徴ですね。子どもやお年寄りが集まる場ができたということで、町長が予算をつけて離島地域における「社会実験の場」として、行政機構と連携し始めたというところが面白い。
家成 最初は町長も、僕らが何をしに来たのかまったくわからなかったらしいですけどね(笑)。でも、小屋ができて、お年寄りや子どもたちが集まってきて、いつもそこが賑やかになっている風景を見て、町長が持っていた福祉社会のイメージと重なったそうです。僕らが出て行ったあとも、お年寄りが集まって体操する場所になったり、介護する人とテレビ電話で話せるような仕組みを導入したりと、今も残って地域で使われているのは嬉しいですね。

合意形成と組み合わせた設計プロセス

藤村 私がここ5年くらいずっと関わってきている鶴ヶ島プロジェクトでは、同じく人口減少に直面する東京郊外の自治体で、高度経済成長期に拡大したインフラを畳むための合意形成を図るということをやっています。住民投票と集団設計のコンセプトを組み合わせて、政治的な合意形成をしながら、特定の誰かの利益を代表しないかたちでインフラを縮小するための建築をつくれないかという実験です。
家成 郊外というのは、拡大するときも縮小するときもフロントラインになる場所ですよね。
藤村 私自身も東京郊外の出身なのですが、一度拡張して、今縮小している、そういう空間をどう考えるか。そのことは、ただ建物を設計するだけではなく、政治的な利害の高まりをどう解いていくかといったことにも向かい合わざるを得なくなります。逆に言えば、ワークショップで皆の意見を出し合ったり話し合うことはできるけど、そこには限界もあって、当事者だけで解決策を導くのは難しい。そこに「アーキテクト」の役割があるのではないかと思うようになりました。
家成 藤村さんの特徴は、そのプロセスがオープンで、かつ、設計と合意形成が同時並行で進んでいくところです。
藤村 言葉だけで考えたコンセプトに形を与えようとすると飛躍してしまうんです。それは80年代の広告代理店的なやり方ですよね。彼らが考えたコンセプトをもとに、アーティストにお願いしますという発注の仕方をすると、変なものがポンと出てきてしまう。デザインはプロセスが重要なので、予見の整理とデザインのプロセスは並行するのが理想だと考えています。
家成 そのプロセスに、藤村さんは投票を取り入れているところも興味深いです。
藤村 投票というのは一番簡単な意思表示です。実は住民たちに「どんな施設が理想ですか?」と聞いても、使いやすいとか、ありきたりの言葉しか出てこないんです。でも、「この形とあのオプションとありますが、どちらがいいですか?」と、模型を目で見て比較して話をしたあとでは、こっちがいいんじゃないかと選ぶことはできる。私はそのプロセスを残して定期的な反復をして、例えばそれを5回繰り返すと、ものすごく濃密に、ユーザーが考えてることと設計の形が一致してくるんですよ。それは、予見だけまとめて「はい、どうぞ」というやり方では絶対に出てこない形です。
家成 実際にプロジェクトに参加している住民はどういう方が多いですか?
藤村 今はアクティブシニアと呼ばれる人たちが集まっています。埼玉県鶴ヶ島市は東武東上線の池袋駅から急行で40分ほどの距離にある典型的な郊外都市です。つまり、かつてお父さんたちは都心に働きに行っていたので、退職して地域に戻ってきたときに、活動する場所やネットワークがないという問題が起こっていました。そこで、そうしたアクティブシニアの方たちの、街に貢献したいという意欲を束ねるかたちで、鶴ヶ島では従来の寄合を再編していくつかの協議会が立ち上がったんです。彼らにとっては地域とのつながりを回復することによって、市の言い方だと「都市内分権」というのですが、行政的な仕事の一部を都市の中で分担するという役割が期待されました。最初は防犯や防災の見回りから始まって、だんだん子育て支援だとか、一人住まいのお年寄りの見回りなどをやるようになり、そのグループの集まりにインフラの老朽化という問題を考えるワークショップが重なって、その人たちが私たちのプロジェクトの投票に参加してくれるようになりました。その結果、合意形成をもとにした実際の建物ができ、今度は彼らがその建物を維持管理しながら新しい場を作っていくということが起こっています。
家成 それは規模は違いますが、小豆島のウマキキャンプと、地域に対する開かれ方や関係性が似ていますね。
藤村 そうなんです。私が鶴ヶ島に作ってる建物も、家成さんが小豆島で建てた建物も、建築自体が弱々しくできています。そういう意味では手のかかる建物なんですが、手をかけるために人が集まるような場の演出がなされていて、実はそれが町にとっては大事なんです。鶴ヶ島もあと10年経つともっと深刻な高齢化が進んで、アクティブシニアの方々に介護が必要になったりしてきますから、それまでの間に地域にどういう場が作れるかで、将来の環境が決まってくる。言うなれば、ケアされる都市とケアされる人々というのは、建築自体も含んで、都市そのものの維持管理や世話という問題とインタラクティブな関係だと思います。そういう感覚は、私が郊外に戻ってここ5年くらい活動していくうちに、たどり着いた実感ですね。

インフラ老朽化の問題を政治参加の機会に

家成 インフラの老朽化というのは、日本各地で起こっている問題ですが、藤村さんは早くから警鐘を鳴らしていましたよね。
藤村 同じことを、アメリカは30〜40年前に経験してるんですね。世界恐慌が1929年に起こって、30年代に集中して公共事業を行ってインフラを整備したので、それが80年代に一斉に老朽化して、橋が落ちたりビルが崩れたりしました。日本は、それから30〜40年遅れた60〜70年代に集中投資したので、2010〜20年代に老朽化のピークが来ると言われています。しかし、今はその全てのインフラを作り直すお金はないので、東京ではかろうじて工面できても、地方都市で試算すると建築や道路は1/3だけで、残りの2/3は維持できず、管理を放棄しなくてはいけません。早くから過疎化が進んだ山間部にある長野県の下條村では、幹線道路以外の道に穴が開いたら、行政は資材を支給するだけで、補修するのは住民たち自身だそうです。まさに自助努力で村をケアしなくてはいけないんですが、遅からず大都市でもそうなると言われています。
家成 大阪でも、誰も数十年後にインフラが機能不全に陥るということを想像できていなかったというか、場当たり的な計画が積もり積もって、今は使い方が分からなくなっている状態です。住民の方も受け身に慣れてしまっているので、どうしたら街や場所に対してもう少し能動的に関わってもらえるのだろうかと、普段から考えています。根本的には、個人個人が自分たちの生活を自分たちで作っていけるかをきっちり考えないと駄目だと思いますが。
藤村 大きく言うと、政治参加への割合をどう調整するかという、政治的な問題でもありますよね。その意味では、大阪都構想は大きな意義があったと思います。鶴ヶ島でやっているような、住民参加型で施設を造るというようなことは、私は民主主義の練習だと言ってるんです。インフラを建て替えないといけない時期に、その機会を利用して投票者に考えさせる、あるいは考える練習をする場を社会として生み出していくこと。それが最初は1億、2億の建築を議論するところから始めて、10億、20億の小学校ができて、それが100億ぐらいの建築になり、やがては国立競技場の2000億を住民投票で決めても上手くいくようになるかなと。そのうち憲法改正といった大きな問題でも、議論して、投票して、良い判断をできる社会になるかもしれません。そのためにも、建築の場合はプロセスをオープンにすれば判断はしやすいし、しかも合意したかたちも見えやすい。日本を調停することの練習になる気がしますね。別の言い方をすると、生きる力を取り戻すための練習台として、建築は向いている。
家成 地域の人たちが、自分たちで自分たちの場所を自律的に作っていくというのと同時に、それがうまくいかなかったり問題があったときに、その人たちの自己責任だと切り捨てられないようにベースをきっちりバックアップしていく仕組みも大事です。社会保障や教育についてもそうですが、同時に、各市町村で地域の特徴をどうやって生かしていけるかは、これからますます重要になってくると思います。

社会関係を構築する建築の力はケアに通じる

家成 小豆島は大阪からフェリーで3時間かかるので、毎日通うわけにはいかないところがありました。そこで、普段活動している大阪の北加賀屋のような高齢化が進んでいる都市部の工業地帯で、どういうことができるのかというトライアルを、これから始めようとしています。ちょうど昭和の時代に建てられた木造アパートの改築の話があったので、中身も一緒に自分たちで運営していく仕組みを考えて、とりあえずカレー屋さんをやろうかと思っているんです。カレーを嫌いな人はいないし、スパイスの調合も設計であるということで、建物とカレーのレシピの両方を設計する(笑)。自分たちでカレー屋さんを開業すれば、もともと地元の喫茶店をやってるおばちゃんとも絡んでいけるかもしれない。それに、ちょうど隣に市民農園があるんです。どんどん空き地になっていく土地を、地主さんが小さな都市農園にしているんですね。そこの一画を借りて、温室にしてカレーで使う野菜やスパイスを育てたい。
藤村 いいですね。人口が減ったり、お金が足りないということはいいきっかけだと思います。そうじゃないと、お金の取り合いになったり、対話をしたりしませんからね。建築は安易に解決策に縛られて構想が一元的になるのを避けなければという時代もあって、ある時期までその傾向が強かったかもしれませんが、今はもう少し課題を解決するロールモデルを取り戻さないといけない時期に来ていると思います。意図的に課題解決を叫ばないと社会的にもプレゼンスがないですから、建築の持っている社会関係を構築する力にもっと自覚的になった方がいい。建築を建築の視点でのみの議論する時代も必要なんですけど、他の分野に開かれる時代もあって、福祉やケアという考え方で建築をとらえ直してみるのは何十年かに一度の大接近かもしれませんね。つまり、社会関係資本をつくる行為を福祉と呼んでもいいし、広義の建築と言ってもいいのかもしれません。
家成 介護の問題を解くときに、介護から入らなくてもいいですよね。カレーから入ってもいい(笑)。
藤村 今の学生を見ていても、建築を目指す動機が、「同居しているおばあちゃんを何とかしたいと思った」とか、身近でかつ誰かの役に立ちたいという意識は非常に強いですよね。
家成 東京に行って一旗揚げたいという学生は少ない。それより地域のNPOに就職したり、田舎に帰ったりする若い子が多い。みんな地域の問題に気づいてるんですよ。
藤村 50年間止まらなかった都市への人口移動が、止まるかもしれないですよ。百花繚乱の日本の地域に、それぞれの特色あるケアが花開く時代が来ると面白いですね。

藤村龍至(ふじむら・りゅうじ)1976年生まれ。藤村龍至建築設計事務所主宰。東洋大学建築学科専任講師。建築設計・教育とともに展覧会キュレーション、イベント、ワークショップ、書籍およびウェブマガジンの企画制作に取り組む。著書に『批判的工学主義の建築 ソーシャル・アーキテクチャをめざして』(NTT出版)ほか。

家成俊勝(いえなり・としかつ)1974年兵庫県生まれ。関西大学法学部法律学科卒。大阪工業技術専門学校夜間部卒。2004年、赤代武志とともにdot architectsを共同設立。大阪・北加賀屋を拠点に、建築設計だけにとどまらず、現場施工、アートプロジェクトほかさまざまな企画にも関わる。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科特任准教授。