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介護を考える13.美術解剖学

介護する体と心──二人称のまなざし
布施英利(批評家)

 このたび「介護」について原稿を書くようにと、依頼をいただいた。私は芸術の批評などを書くのを専門とする人間で、介護についてはいうまでもなく素人だ。さて、なにを書いたものかと考えた。ともあれ、テーマは「介護と体や心の関係について」だ。 それを、芸術作品を例に探ってみることにしたい。
 しかしその前に、素人なりに、自分の介護体験(に近いもの)について書いてみよう。幸いにというか、自分の両親は80歳を超えているが、しかも体には相当のガタが来ているが、いまだに健在で、介護の必要があるという状態ではない。家庭内での介護問題は、これから、やがて、というところで、いまだ現実的ではない。だが自分には祖母というものもいて、もう30年以上も前だが、大学生の頃に祖母が寝たきりになって、あれこれ面倒をみたことがある。
 祖母はある日、縁側から庭に出る時に体のバランスを崩して転び、股関節を骨折してしまい、それから数年間、立って歩くことができなくなった。そのまま晩年には寝たきりになって、自力で動くこともできなくなった。最後は自宅で逝ったが、その前の数カ月は入院して病院のベッドの上にいた。
 小さな病院で、看護師さんの数も少なく、あるとき見舞いに行くと、病室にも控え室にも誰もいなかった。いつもは叔母がいて祖母の世話をしていたが、その時は誰もいない。そして病室内がウンチの臭いで満ちていた。これを何とかしないといけない。祖母に聞くと、ベッドの下にバケツがあって、ウンチと襁褓(おしめ)は新聞紙でくるんで、そのバケツに入れて、トイレに捨てるのだという。祖母はもちろん、自分ではできないし(できるなら自力でトイレに用を足しに行く)、そうなると、あとは孫である自分がするしかない。祖母の腰の下に手を入れ、体を持ち上げて浮かし、ウンチのつまった襁褓を取り、尻をふいた。
 そのとき祖母の顔は恥ずかしそうに紅潮していた。自分の孫とはいえ、それに老いたとはいえ、自分は女性であり、男子である孫に下の世話をしてもらうことが気まずかったのかもしれない。しかし、あれから30年も経って、祖母の他界もはるか昔のことになったが、いまだに祖母と人生で関わった、というのはあの瞬間という気がしている。生きていることの根源で、おばあちゃんと共に生きた、それはたしかにあの時だったのかもしれない。
 介護、ということで自分が思い浮かべられるエピソードといえば、それくらいしかない。しかし介護はたいへんだが(そもそも自分は叔母とちがって、祖母の面倒を毎日みたわけではない)、なにか「生きている」という実感を与えてくれるものが、介護という行いの中にはあるような気がする。祖母との病院での出来事は、そう教えてくれる。それは、「介護する体」と「介護される体」のふれあい、というものなのかもしれない。そのふれあいの中に、介護の心というものがあったのかもしれない。体の弱った祖母は「介護される体」で、健康で若かった自分は「介護する体」だ。あのとき自分は、祖母の「介護される体」のリアリティを前にすることを通して、自分の「介護する体」とも向き合った。介護には、介護する体との出会い、という効能もある。それが人の心を豊かにする何かを孕んでいるのではないか。その「感触」は、いまでも自分の中に残っている。
 話は変わるが、若い頃の自分は、医学部の解剖学教室で、10年ほど研究生活を送ったことがあった。はじめは研究生というような身分だったが、やがて助手になり、仕事として解剖学に関わるようになった。学生や研究生の身分のときは、自分の研究だけをしていればいいが、仕事になると研究室の雑用もする。解剖学教室の雑用というのは、なかなか特殊なもので、たとえば誰かが亡くなったという電話がくると、業者を手配して車で葬儀場まで行き、ご遺体を引き取ってきたりもする。献体、という解剖学の教育・研究用にご遺体をつかってもらう制度があって、生前にそれに登録しておくと、亡くなったときに解剖学教室から引き取りにきて、解剖されるのだ。
 棺桶にいれて運ばれてきたご遺体は、そのままだと腐敗してしまうので、防腐処置をする。医学部の授業での解剖というのは、授業カリキュラムで、たとえば毎年、5月に始められて、夏までの数カ月行われたりする。だから秋に引き取ったご遺体は、春まで保管して、5月になると学生のために解剖台に載せられる。そのための防腐処置の作業というのも、自分の仕事の一つだった。じっさいは、技官という専門の職の人がいて、その人が遺体の処置をするのだが、ときに作業を手伝ったりもする。防腐処置というのは、体にホルマリンを染み込ませて、それで腐らないようにする(この処置でほぼ永久に防腐できる)のだが、作業手順は、太腿にある動脈にチューブを挿して、そこから全身の血管にホルマリンを送る。防腐処置が済んだご遺体は、ロッカーなどに保管しておけば、いつでも解剖ができる。
 この作業の過程では、「体」とリアルに触れ合うことになる。まず棺桶から作業台に遺体を移す。台車など、いろいろ専門の器具があるので、すべてを腕力で作業するわけではないが、やはり基本は、こちらの体をつかって、遺体を持ち上げ、適切な場所に置く。そして足を持ち上げたりして、太腿の防腐処置の作業をしたりする。
 死んだ人間の、体を持ったことがあるだろうか?これが意外に重い。もし魂(あるいは生命)に重さというものがあるなら、それは重さではなく、マイナスの重さ、つまり軽さなのではないかと思うことがある。死んだ人の体のほうが、どうも生きている人の体より重いのだ。赤ん坊を抱っこしていて、赤ん坊が眠ると、ガクンと重く感じることがある。それと似て、生命にはマイナスの重さ(=軽さ)というものがあって、死んだ途端により重く感じられる。ともかく、遺体をあれこれする作業は、重労働である。
 介護と、解剖室での死んだ人間を防腐処置する作業は、まったく別のものである。しかし、どちらも人間の体を相手にして、こちらの体をつかって行う肉体の仕事である、という点では似たところもある。近代社会においては、体を扱う仕事というのは、どうも低く見られるところがある(医者は別かもしれないが、あれは知的労働でもある)。では介護や、あるいは自分が経験した解剖室での作業というのは、やはり価値の低いものなのだろうか。介護に関しては素人なので、自分にはなにか言う資格はないのかもしれないが、解剖に関して言えば、それはなかなか、かけがえのない体験であった、という思いがある。
 たとえば、毎日、死んだ解剖体と付き合っている。すると、体というのは、横になって(ときに解剖されて)いるのが、いちばん自然な状態になる。そんな折、解剖を終えた夕刻、階段を歩いていて、前にいる人を見て、驚いた(感動した)ことがある。人間が、立って、歩いていたのだ!
 人間というのは、立つもので、歩くものだ。しかし死んだ人間ばかり相手にしていると、そんな当たり前のことが、奇跡的な出来事のように思え、人間って、すばらしい、と思えてくる。ともあれ、体とふれあう仕事というのは、人間に対するなにか深い洞察を教えてくれるところがある。おそらく、介護の現場で、風呂で体を洗う手伝いをしたり、歩く補助をしたり、その他、相手の体にいろいろに接していると、きっと、他では気がつかない、かけがえのない感覚を知ることにもなるのだろう。やはり、体を扱う仕事は、尊い、と思う。
 さて、自分の体験話はこれくらいにして、介護をテーマにした芸術には、どのようなものがあるか、その作品例を挙げてみることにしたい。芸術というのは懐が深いもので、おそらくどのようなテーマにでも対応できる素材がそろっている。愛や死や戦争や、美しいものや苦しいものや、いろいろなものが芸術のテーマになっている。そこで介護をテーマにした芸術作品に、どのようなものがあるのか。ここでは絵画や彫刻などのジャンルで、介護とクロスする秀逸な作品は何か、考えてみた。もし介護を推奨しアピールするようなポスターでも作るとしたら、いったいどの作品の画像を使えば、しっくりくるだろうか。
 その前に、一つ。
 先に「体とふれあう仕事というのは、人間に対するなにか深い洞察を教えてくれる」と書いた。では、介護は「体を扱う」だけの仕事なのか。相手は人間だ。人間は、体でもあるが(とくに介護を必要とするのは、体のハンディキャップを助けるため、ということが大きい)、しかし人間は、心でもある。介護される人も、単にロボットから介護の援助を受けているわけではない。そこには、介護する人との心の交流もあるだろうし、体だけでなく、心の介護とかケアも、大切なものであるのはいうまでもない。
 さて、そこで介護を象徴するような芸術作品だ。どんな作品があるだろう。どんな作品が、介護を象徴する名作なのだろうか。ダイレクトに、介護の場面を描いたものを探してもいい。しかし、それでは、単に介護を絵で説明しているだけで、本質的に介護というものに、深い芸術的洞察から触れた、と言えるとは限らない。そこで、一義的には介護とは無関係のようであるが、「本質的に」介護というものと、深いところでつながっていて、介護の姿を造形している作品を選んでみることにしたい。
 私が考えたのは、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」だ。つまり、体と心と、両方で介護とつながる響きを奏でる、すぐれた彫刻がこれである。
 「ロンダニーニのピエタ」は、イタリア・ルネサンスの画家で彫刻家ミケランジェロ(1475〜1564年)の、最晩年の作品だ。いまはミラノのスフォルツァ城の中に展示されている。大理石の彫刻で、荒々しいノミの彫り跡もあちこちにある、未完成の作品だ。しかし仕上がっていないのに、見る者の心を打つ力がある。この彫刻は「未完成の完成」という美学を見せてくれる謎めいた作品でもあるのだ。
 「ピエタ」というのは、哀しみや慈悲を意味し、磔刑で先立った息子キリストを抱いて、悲嘆にくれる聖母を造形したキリスト教美術で、ミケランジェロは生涯に4つのピエタ像を残した。
 まだ若きミケランジェロがつくった「サン・ピエトロのピエタ」は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある。彫刻の技巧を尽くし、リアルな人体描写と、細かい服の皺まで彫り込んだ大理石像は、天才彫刻家ミケランジェロの登場を告げる作品で、若く美しいマリアと、腕や足をだらりと垂らし死んだキリストの対比が印象的だ。
 さらにフィレンツェには、二つのピエタ像がある。「フィレンツェのピエタ」(ドゥオーモ博物館)と「パレストリーナのピエタ」(アカデミア美術館)で、先の「サン・ピエトロのピエタ」がミケランジェロ青春時代のピエタ作品だとしたら、このフィレンツェにある2体のピエタは壮年期の作品ということができる。ダイナミックで力強く、筋肉の解剖学的な描写も生々しい彫刻だ。
 そしてミケランジェロ老年期のピエタ作品が、ミラノにある「ロンダニーニのピエタ」だ。
 つまりミケランジェロのピエタ彫刻は、ローマ、フィレンツェ、ミラノというイタリア3大都市それぞれにあり、しかも南から、青春期、壮年期、老年期の作品と、ミケランジェロの生涯のそれぞれの作品が、各都市にきれいに散っている、ということになる。私は、何度もイタリアを旅し、その中では例えば、右記3都市を「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見る旅をしよう」などとテーマを決めて、美術館を訪ねたりしたが、そんなとき空いている時間にみたミケランジェロの作品が、日本に帰国しても記憶から離れず、横目でちらりと見ただけなのに、重い存在感を残す。「ミケランジェロを見よう」という旅でなくても、結果としてミケランジェロが気になるので、ミケランジェロという彫刻家は、それほどに存在感のある作品たちを残した芸術家、ということができる。あなたもイタリアを旅する機会があったら、ミケランジェロの存在感をきっと感じることだろう。
 この原稿は、介護というテーマについてのものだが、そのミケランジェロの晩年の傑作「ロンダニーニのピエタ」は、いわば介護という世界のアイコンにするにも相応しい、人の心をつかむ力をもった彫刻だ。
 では、「ロンダニーニのピエタ」のどこが、介護の指針となるような世界をたたえているというのか?そもそも500年も昔の一彫刻に、どうしてそんな価値や意味を見いだすのか。それには「ロンダニーニのピエタ」そのものをじっくり見るのが何よりだ。
 「ロンダニーニのピエタ」は、先にも書いたように、未完成の彫刻だ。それだけでなく、造形は破綻している。キリストの右腕は体から離れ、つまり最初の造形的な構想が途中で変更され、腕と胴体の位置が離ればなれになってしまった。そんな彫刻だが、なぜか人の心を打つ力を持っている。若い頃の彫刻「サン・ピエトロのピエタ」は、完璧な造形だったが、そういう完璧なものよりも、未完成や破綻だらけの「ロンダニーニのピエタ」のほうが、より心に訴えかけてくるものがある。マリアは死んだキリストを抱きかかえ、持ち上げ、それ以外なすすべもなく、うなだれている。その悲嘆が、この石のかたまりから、ひしひしと伝わってくる。マリアは、まだ幼かった頃の自分の息子のことを思い出し、そういう母と子の二人だけの世界を思い出し、社会に出てこんな目に遭った息子を、もう一度、二人だけのところに連れ戻し「お家に帰ろうね」とやさしく言っているようでもある。こういう心の世界こそ、介護をする者にとって、常に自己に課さなければいけないのではないか。
 先に、介護には、体と心の二つがあって、そのどちらも大切だと書いたが、この彫刻には「体」もある。抱きかかえ、持ち上げる、そういう身体感覚をこの彫刻から感じとるだけでも、とても大切な意味がある。この体のふれあいこそ、介護の現場にいる者が心すべきことだ。
 そんな、重い死体を持ち上げる「体」の世界と、悲嘆が満ち満ちた「心」の世界が、「ロンダニーニのピエタ」には、共にある。介護のアイコンとして、これ以上ない美術作品である。
 しかし、と思われるかもしれない。介護というものを「ロンダニーニのピエタ」で代表させたら、いろいろな誤解や問題が生じるのではないか。なにしろ、そこで抱え上げられているのは、介護を必要とする人ではなく、死んだ人間だ。しかも、ある特定の宗教の像でもある。しかし、そういう齟齬を認めた上で、それ以上に大切で重要なものが、この彫刻にはあり、やはり「ロンダニーニのピエタ」こそ、介護というもののアイコンとするに相応しいと私は考える。
 その一つが、「二人称のまなざし」というものだ。私は、人が死者に対するとき、あるいは人が人に対するとき、三つのスタンスがある、と考える。一人称、二人称、三人称だ。
 先に私が書いた自分の体験でいうと、病院で面倒をみた祖母は二人称の存在で、解剖学教室で見た遺体は三人称、つまり赤の他人だった。家族の介護はともかく、職業として介護に従事するとき、その相手となる人間は他人、つまり三人称だ。しかしそれで終わっては、心の介護まではできない。それが他人であっても、そこに二人称としての接し方をしないといけない。でも二人称って、どんな感じ?自己を反省し、それを間違うことなくつかむには、たとえば「ロンダニーニのピエタ」の、マリアのまなざしや、その振る舞いを思ってみればいい。
 そこにあるのは、実の母子であり、しかも死んだ人間であり、一つの宗教の教義に則った宗教美術でもある。だがミケランジェロがこの彫刻に込めたのは、どこかの母子の姿でもないし、ただの死体でもないし、一宗教のプロパガンダでもない。それらを超えて、見る者に訴えてくる力があるから「ロンダニーニのピエタ」は、(とくにキリスト教徒でもない)私たちの心に届くのだ。
 これは過去の彫刻作品だが、それが示しているのは、未来の介護のあるべき姿でもある。これからも、人は、こんなふうに人と接しないといけない。
 ともあれ、もしイタリアを旅する機会があり、ミラノの街に行くことがあったなら、ぜひとも「ロンダニーニのピエタ」の前に立って、介護とは、いったい何だろう?と考えていただきたい。その体と心の、両方の答えが、きっとそこにあるはずだ。

布施英利(ふせ・ひでと)1960年生まれ。批評家。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程修了。学術博士。東京大学医学部助手(解剖学)を経て、科学と芸術の交差する「美術解剖学」をベースに、絵画、マンガ、文学など幅広いテーマで批評活動に取り組む。著書に『パリの美術館で美を学ぶ』(光文社新書)、『美の方程式』『「進撃の巨人」と解剖学 その筋肉はいかに描かれたか』(ともに講談社)ほか多数。